- 少女時代
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広島生まれの広島育ち。外遊びが大好きな活発な子で、よく男の子に間違えられました。
本を読むことも大好きで、没頭すると周りの声が聞こえなくなってしまい、無視したとクラスメイトに勘違いされたことも…。ホームズやルパンなどの推理小説にハマったほか、大草原の小さな家、ハイジやモモなどが心に残っています。
- 中学・高校時代
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仲良しな友人に誘われて塾に通いだし、中学受験当日に広大附属が共学だと知ったくらいぼんやりした子でしたが、なぜか合格。
バイオリンをかじっていた父親の勧めで、部活は管弦楽(オーケストラ)に入りました。一応文化部ですが、年に一度の夏の定期演奏会に向けて朝から晩まで練習に励む、中身はガッツリ体育会系でした。選んだ楽器は「セロ弾きのゴーシュ」で有名なチェロ。高3の夏まで土日もチェロを弾いていました。最後まで下手の横好きでしたが…。
附属高生が情熱を傾けるもの、それは体育祭です。赤軍と白軍に分かれ、それぞれのテーマに沿って、お城や乗り物、団長などの衣装を1年かけて手作りします。中学のころから憧れていたマスゲームを経験できたことは忘れられません。
- 予備校時代
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「生徒の自主性を重んじる」附属の自由(放任?)主義にくわえ、「希望の大学に行けるまで浪人すればいいじゃない」というおおらかな進路指導。やりたいことに全力で取り組み、勉強とは無縁の6年間をすごした結果、もちろん浪人することになりました。
志望は歯学部。
もともと私はひどい八重歯で、中学のころから広島大学病院矯正歯科に通院していました。さらに困っている人の役に立ちたくて「僻地のお医者さんになりたい」という希望をもっていました。
とはいえ、数学も物理も大の苦手、国語と生物が大好きという根っからの文系人間が、夢があるからといって急に成績が伸びるわけもなく。小さな予備校の先生方の親身な指導のおかげで、2年かかってなんとか広島大学歯学部へ合格できました。
- 広島大学 歯学部時代
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大学では6年間卓球部に所属。練習後の飲み会や遠征後の温泉なども楽しみな、のんびりムードの弱小部でした。全くの初心者がラケットの持ち方から習い、練習しすぎて試合前日に腱鞘炎になったのは痛恨の極みです。
長期休みにはバックパックを背負っていろいろな国を一人で旅しました。体当たり英会話で、格安航空券の飛行機を乗り継ぎ、ユースホステルに泊まり、スーパーマーケットで買い物し、世界遺産の自然や古い街並みを歩き、美術館や博物館を回る…お金はないけど時間はたっぷりの贅沢な経験でした!とはいえ、財布をすられたり、予約したはずのホステルがなぜか満室で駅の待合室で夜を明かしたり、遠くの遺跡に連れていかれて帰りのバイクタクシー代をぼられたり、なんてことも。
6年生の夏休み、同級生が就職や大学院進学と次々に卒後の進路を決める中、私は悩んでいました。「僻地の歯科医」という夢をかなえるため入れ歯や歯周病を専門的に勉強するか、それとも新しく興味をもった小児歯科を学ぶのか。私にとって小児歯科の魅力は、マイナス1歳から20歳までひとりの患者さまと長くおつきあいできること、保護者の方とお子さまの成長を一緒に見守れること、治療後はしっかり予防することで将来きれいな永久歯列をつくるお手伝いができること、です。
最終的には、私が関わることがお子さまご本人だけでなく、その方のお子さまやお孫さんのお口の健康を守ることにつながる可能性を信じて小児歯科に進みました。
- 広島大学 大学院時代
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小児歯科入局後は、科学的なものの見方・考え方を学ぶため細菌学講座で研究することになりました。私のテーマは「黄色ブドウ球菌が産生する表皮剥脱毒素の産生調節機構について」。
朝7時集合で実験開始、8時から論文抄読、以降夜中までずーっと実験のキビシイ毎日。基礎実験は初めてのことばかり、数えきれないほどの失敗をしながら、「細菌たちの声が聞こえたらいいのに」と何度思ったことか。
週に半日だけの診療時間が待ち遠しく、患者さまとお会いするのが楽しみでした。研究漬けの日々を過ごしたからこそ、自分は臨床が好きなんだと改めて認識することができました。
- 広島大学 教員時代
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教員の仕事は研究、教育、臨床です。
研究面では、児童相談所の一時保護所に入所した子どもたちや、血友病の子どもたちについて、歯科健診や生活アンケート調査を行い学会や論文で発表しました。児童虐待は大きな社会問題となっており、今後も私のライフワークになっていくでしょう。
教育面では、歯学部の学生に対する講義・実習のほか、大学病院で歯科医師を目指す学生の臨床実習や研修医の卒後臨床研修を指導しました。また、歯科技工士や歯科衛生士を目指す学生に対する講義や実習も行いました。
臨床面では、小児歯科診療室の外来医長、初診担当医として初診患者さまの診断にあたりました。また小児歯科専門医指導医として、小児歯科専門医の取得を目指す後輩歯科医師を指導しました。外来診療では、健常のお子さまのむし歯や歯並びの治療・予防だけでなく、抗ガン剤治療中のお子さまの入院病棟への往診や集中的歯科治療、全身疾患をお持ちのお子さまに対して医科主治医と連携しながらの歯科治療、低年齢や非協力のお子さまの体動抑制下での治療を行いました。さらに、障害者歯科学会認定医として、障害児専門外来のグループ診療で中心的な役割をはたしました。
- カンボジアでの歯科支援活動
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広島大学小児歯科では、10年以上継続してカンボジアでボランティア活動を行っています。
カンボジアでは1970年代の内戦時に医師・歯科医師・教師などの知識層が大虐殺されたため、国内の医療や教育体制が崩壊しました。内戦が終結して数十年たった現在も、歯みがきの習慣がなく歯ブラシも入手困難、近隣に歯科医師もいないため、子どもたちはむし歯だらけ、大人も歯周病で若くして歯を失います。
そんな中、子どもたちの歯科検診や歯科治療だけでなく、学校の先生やいずれ教員になる学生へ保健の模擬授業をして、現地の人たちが将来自分たちの力で健康を守れるような体制づくりのお手伝いをしています。
日陰でも30℃を超す中、手袋の中が汗で水浸しになりながら検診をしていると、はだしの子どもたちがキラキラした瞳で「オークン(ありがとう)」と言ってくれて、疲れが吹き飛んでしまいます。
- 独立開業への想い
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大学病院で診療を続けるうちに、研究や教育よりもっと臨床がしたいという思いが大きくなっていきました。全身疾患や障害があるために一般歯科での対応が難しい子どもたち、泣いたり動いたりして治療がなかなか進まない子どもたちが、紹介されて大学病院を受診するころにはむし歯が大きくなっています。治療時には麻酔が必要ですし、治療回数も多くなります。保護者の方は、嫌がるお子さまをなだめながら遠い大学病院まで何度も通わなければなりません。ご自宅から近い通いやすい範囲に、小児歯科専門医院がもっとたくさんあればいいのに…。
むし歯になりにくい食生活について相談したり、年齢に合った歯みがきの仕方を一緒に練習したり。小さなころから治療ではなく予防のために通う、そんな楽しい場所が、もっともっと増えたらいいのに…。二人の子どもを育てながら働くなかで、そんな思いがどんどんふくらんでいた時、一瀬先生の訃報を聞いたのです。小児歯科の灯がひとつ消えてしまったという悲しみ、寂しさ、そして危機感を感じ、この灯を消してはいけないと思ったのです。